- 農業男子 vol.8 -
″農業嫌い″から″お米マニア″へ!突き詰めすぎて稲の表情をよめるまでスキルアップ!
実直すぎるお米作りに萌えキュンしちゃう農業男子

「今、食べるお米って年間8万トンずつ減っているんです。」





ショッキングな数字だ。
食の欧米化による、いわゆる“米離れ”だ。

「滋賀県の年間生産量が16万トン。このままいくと二年に一回、滋賀県でお米作らなくていいよって言われてしまうかもしれないんです」





「だからこそ、【求められるお米作り】が必要なんです。この田園風景を守っていくためにも。」

まっすぐ前を見据える真剣なまなざしに、きゅん。

覚悟を決めた人はどこまでも美しい。

そんな素敵な農業男子に、滋賀県で出会った。




■農業が嫌い。そんな僕が初めて“やる”と決めたこと。

「農業が嫌で嫌で仕方がなかったんです。そんな状況だから表情にも出るし何かあったら“親が継げって言ったから”って。本当に最悪な男でした(笑)」

そう笑う米農家の農業男子、家倉敬和さん。
“真面目”を絵にかいたような人柄の家倉さんから出た、意外な言葉だった。

「文句ばっかり言ってる自分も情けなくて格好悪くて。そんな自分を変えたくて、ニューヨークへ一人旅に出たんです。農家になって一年目の時に。今思うと、本当に安易ですよね(笑)」





この一人旅で、家倉さんは大切なことを思い出す。
それは“自分で決める”ということだ。

「一人旅ってすべてが自分の意思決定。それまではほとんどの選択を人に委ねていたんだなって。自分で決めてこなかったなって分かったんです。」





「でね、そこで卒業旅行に来ていた学生と出会って。たまたまお米好きの学生で。“お兄さん、どんなお米作ってるの?”って聞かれたんです。その時に何も答えられなくて。」

“親に言われるがまま”。
そんな米作りを続けていいのか。自分がやりたいことは一体何なのか。
家倉さんの心に火がついた。

「俺、無農薬のお米作りたい。」

慣れ親しんだ環境を離れて自分を見つめなおす一人旅は
間違いなく、家倉さんのターニングポイントとなった。

■うちのお米が、美味しくない。気づいて始めた無農薬のお米作り

「代々米農家なのに、自分のところのお米が美味しくないって感じていて。今振り返ると、“生活の糧にするだけの農業”をしていたと思うんですよね。そういう気持ちも作物に伝わっちゃってたんだろうな。」





「じゃあ、どうしたら美味しくなるのかって考えた時に、無農薬が当たり前だった昔の農業にヒントがあるような気がして」





「農薬使っている田んぼって生き物が全くいないんです。綺麗なんですけど、生き物の息吹がしない。生き物と共存出来ない農業でいいのか、それって優しい味わいから遠のいちゃうんじゃないか・・・そんな色々な気持ちがあって、無農薬のお米作りにチャレンジしました」

無農薬米を作り始めて二年たった時、地元の飲食店の反応が変わった。

「一年目の時は何も感想が無くて(笑)でも二年目になって“これ、ええやん。すぐちょうだい!”って言ってくれたんです。炊き上がりの艶が全然違うなって。嬉しかったですね。」





「除草剤を使った田んぼの稲は雑草と戦わなくて済む。不戦勝なんです。でも除草剤を使わなかった稲は雑草に負けじと頑張る。そんな稲のエネルギーがお米にのっかるから味わいが深いのかなって」

体に優しい味わいの家倉さんの無農薬米。
美味しさを追求するために、稲が今どんな状態なのか、実直に向き合ってきた。
そうしたひたむきな姿勢がこんな特技を生んだ。

「稲を見ただけでその田んぼのお米が美味しいかどうかわかるようになったんです(笑)」

家倉さんの農業に対する想いがよくわかるエピソードだ。

■ 父、母が倒れ、“代々続く米農家”の責任の重さを実感。

“農業の悪いイメージを変えたい”

そんな想いで家倉さんはあるプロジェクトに参加する。
トークイベントに農家コラムの連載、ラジオの収録、そして雑誌の取材。
生産以外の場で“農家”としての活動を広げていった。

「色々な人たちとの出会いの中で“農業って求められているんだな”って感じて。農家としての誇りを取り戻しました。」





外に出て誰かと交わることで、初めて気づくことがある。

「プロジェクトで一緒に活動していたメンバーはすごい人ばかりで。自分にはみんなのような強い意志や実績ってあるのかな、自分って一体何なんだ?って。誇りを取り戻したはずなのに、活動後半はどんどん自信が無くなっていっちゃって」





そんな家倉さんにさらに追い打ちがかかる。

「父がケガをして、母が病気になって。唯一の社員さんも独立して本当に一人になったんです。その時に“代々続く米農家”という責任の重さも、抱えているものの大きさも痛感して。」





「にっちもさっちもいかなくなって、腹が決まりました。この家の柱にならないといけない。何があっても自分で責任をとろうって。やっと、覚悟が出来たんです。」

“自分だから、出来る“
そうした自信は、覚悟を決めたからこそ持てるものなのだ。

■お米の可能性を、広げていく。

【求められるお米作り】
その想いをひとつカタチに出来たのが
500年近く続く地元の老舗“冨田酒造”と家倉さんの無農薬米とのコラボレーションだ。

「お米は食べなくても、日本酒は飲む人がいる。そこに可能性を感じたんです」





「田園風景って日本の原風景だと思うんです。それに耕作放棄地が増えるとごみの投棄や犯罪が増えるって言われているんですよね。そうした意味でも田園風景を守るのは米農家としての役目なのかなって。そう思います。」

様々なきっかけとご縁に向き合い、時に葛藤を乗り越えてきた家倉さん。

優しい笑顔の奥に、確かな自信がみなぎっていた。



☆家倉さんの情報はこちらでチェック☆
http://yagu.jp/

次回は、“どうせやるなら極めたい!”行動力抜群な農業男子が登場!
新規就農のチャレンジャーが目指す、“究極の畑”とは?!

(取材・文・撮影・イラスト 名越涼子)

名越涼子(なごし・りょうこ)
フリーアナウンサー。香港出身。
福井、愛知のテレビ局のアナウンサーを経て独立。
幼い頃見た田んぼの美しさに感動し“農”に興味を持ち始める。
農作業着ファッションショーや農業団体の発信媒体を手掛けるなど
独自の切り口で“農”を発信。
他、メディア出演や講師業、コラム執筆など多方面で精力的に活動中。