サッカー少年が歯型から俳優?!!そしてレストランオーナーへ?!
人生密度の高いアーバンファーマーが登場!
“文化としてのレストラン”を創り続けるその物語を紐解く!
「お客様に惚れられないといけない。そのためには、自分が惚れないといけない」
東京・赤坂でベジタブルレストラン&フェスティバル《CROSS TOKYO》を展開するアーバンファーマ―が言った。
国内だけでなく、海外でもレストランをプロデュースしてきた、レストランのプロである。
「日本ってレストランもエンターテインメントもまだまだ【文化】じゃなくて【娯楽】だと思うんです。それを文化まで高めていきたい」
様々な人や文化と《CROSS》するレストラン≪CROSS TOKYO≫
ある時は、高知県の酒蔵と。
ある時は、イタリアのピエモンテと。
日本での終わりなき挑戦の先に、何を見据えているのか。濃厚すぎるアーバンファーマ―の人生を、紐解いた。
◆サッカー×俳優×レストラン=アーバンファーマー??
やってきたのは埼玉県・東所沢。
【ベジタブルレストラン】を掲げるCROSS TOKYOの自社農園だ。
「安心で安全です、って自分たちが熱弁出来る物を作りたかったんです」
無農薬・無肥料。健康そうな野菜たちがのびのびと育っている。
「素材を見るとわくわくしてきます!自社農園は広がりもあるし、物語もある」
福岡出身のアーバンファーマー・井上翔輝さん。
2012年、【CROSS TOKYO】をスタート。去年12月には“ベジタブルレストラン”としてリニューアルオープンさせた。
もともとサッカー少年だった井上さんの経歴は、なんというか、濃い。
井上さんにしか歩んで来られなかったであろう道のりなのだ。
「もともとサッカー少年でスポーツ進学してたんですけど、途中で“自分の引き出しってこれだけじゃない”って思ってやめて。それで大学に退学届け出して、20歳で初めてプータローになったんです(笑)」
そんな井上さんに、思わぬところで転機がやってくる。
「たまたま行った歯医者で“この歯並びは素晴らしい!歯型をとらせてほしい”って言われて歯型のモデルになって(笑)その頃、芸能人は歯が命っていうCMが流行ってたからか友達に“すごいじゃん!芸能人じゃん!”ともてはやされて(笑)そのまま勧められるままに博多座の舞台のオーディションを受けたら合格しちゃったんです!」
夢はプロのサッカー選手から俳優へ。しかも、きっかけは歯型。
コメディドラマのような展開である。
「その後、地元企業のCMやショートフィルムに出演して。サッカーをやめて気まずかった父に“俳優でいく”って伝えたら“形はなんであれ外へ出ろ。日本でチマチマやるな”って言ってもらえて。そこから海外行くために居酒屋やレストランでアルバイトしました」
飲食との縁は、俳優への道のりの中で。
ここから本格的に井上さんのドラマティックな物語が展開していく。
◆9.11、そして一人舞台。僕がニューヨークで学んだこと。
1年間、朝から晩まで居酒屋やレストランでアルバイトをして200万円を貯めた。
そして一人、ニューヨークへ渡った井上さん。
俳優学校に通いながら現地のレストランで働いていた。
「寿司屋さんで寿司を握っていたこともあります。メキシコ人にカリフォルニアロールを教わりましたよ(笑)」
あるイタリアンレストランで働いていた時に、あの大きな事件が起きる。
≪9.11≫だ。
「朝、ヨガ教室にいた時にラジオでテロだって分かって。それで外に出たらあのビルが崩れ落ちて。何が起こったか分からなかったです」
これまでに受けたことがないほどの、とてつもなく大きな衝撃だ。
「当時働いていたイタリアンレストランでも“テロには屈しない!頑張るぞ!”って掲げて。で、お客さんも家にいると不安だからってみんなお店に来てくれるんですよ。そんな時だからこそ自分たちがどういうおもてなしが出来るかって大事で。ニューヨーカーの人達の生活に直結する価値ある仕事だなってすごく感じましたね。」
レストランへ対する考え方の基盤を作ったのは、間違いなくニューヨークだった。
「本当のレストランの在り方って娯楽じゃなくて文化にしなきゃ駄目だなって」
日本へ帰国する前、井上さんはこれまでに無いことにチャレンジする。
それが、脚本・演出・主演を全て手がける【一人舞台】だ。
「レストランのお客さんなどに出資を募って300万くらい集めました。それで30人のスタッフを雇って。一週間の公演で、99席の劇場が連日満席だったんです!最終日は立ち見客もいて舞台終わった後は大号泣・・・500円玉ハゲが2つも出来ていました(笑)」
命を注ぎ込んだ、一人舞台。
出来てしまった500円玉ハゲも、井上さんの人生の勲章なのかもしれない。
◆「最終的に、人さまがお前の道を決める」
帰国後、レストランのプロデュースなどを手がけながら俳優業を続けていた井上さん。
ただ、胸の内にずっとモヤモヤした気持ちを抱えていた。
「日本のエンタメの世界に、なんか違和感があったんですよね。ニューヨークのライブ感が無いというか。飲食もエンタメも本格的に始めたのがニューヨークだったからか、日本との差を感じてしまって。」
そんなある日、井上さんに運命の一声がかかる。
ある有名なシェフからフランスのレストランへ来てほしい、という要請だった。
「正直迷いましたね。それを受けるってことは俳優業を完全にやめるってことだったので。でも“最終的に人様がお前の道を決めるんだからそれまで色々やれ”っていう父の言葉に後押しされて」
人生がまた、大きく舵をきった。
「自分は生きるために飲食やってたんですけど、それが堅苦しくなくて楽しくて嬉しくて。で、自覚無かったんですけど、よくよく考えたら自分の生きる道ってここなのかなって思って。飲食も俳優も同じエンタメ。サービスマンとして世の中に必要とされるのなら自分の身を捧げようと」
28歳で渡仏。
半年間でホールの責任者No.2まで上り詰め、1年半後に東京店立ち上げのため帰国。
日本法人代表を任され、3年連続ミシュラン一つ星をキープするなど、サービスマンとして大きな結果を残した。
「壮絶なほど忙しかったですねー!でもその時に“俺まだ500円玉ハゲ出来てないな。じゃまだ大丈夫だな”って(笑)」

そして晴れて2012年、【CROSS TOKYO】が誕生するのである。
「これからも色々なところとクロスしていくのはもちろん、将来はクロスパークを創りたいって思ってます。温泉施設とか畑とかもあるような大人の遊び場です!そのために、今温泉ソムリエの勉強してるんです」
人生はどこに≪運命の種≫があるか分からない。
ただ、瞬間瞬間を全力で生きていれば必ず“自分の道”に巡り合える。
「あとは・・・60歳になったらサッカーの日本代表になろうかな(笑)」
点と点は、いつか必ず線になる。
井上さんの冒険は、チャレンジし続ける勇気をくれる、壮大な物語だ。
☆CROSS TOKYOの情報はこちらでチェック☆
http://cross-tokyo.com/
次回は都心から近い、木更津の若きイケメン農場長が登場!
“農業はスポーツ。体よりも頭を使う”と話す農場長の萌えキュン動画にドキドキが止まらない!
(取材・文・撮影・イラスト 名越涼子)
名越涼子(なごし・りょうこ)
フリーアナウンサー。香港出身。
福井、愛知のテレビ局のアナウンサーを経て独立。
幼い頃見た田んぼの美しさに感動し“農”に興味を持ち始める。
農作業着ファッションショーや農業団体の発信媒体を手掛けるなど
独自の切り口で“農”を発信。
他、メディア出演や講師業、コラム執筆など多方面で精力的に活動中。